看護師としての人生観

デスカンファの意義〖患者さんが亡くなって喪失感を抱いているあなたへ〗

思い入れにある患者さんが亡くなって悲しい。

でも周りのスタッフはいつも通り仕事をしている。

私がこんな気持ちなのは、まだ未熟だからかな…

そんな悩みを抱えているあなたに向けて記事を書こうと思う。

日々一生懸命関わってきた患者さんが亡くなったとき、看護師の私たちは喪失感を覚えます。

これは未熟だからではなく、大小あるにせよ全員が抱く気持ち。

私のような看護師20年目だって、患者さんが亡くなると悲しいし切ないし、辛いし、泣きたくなる。

実は〖グリーフケア〗と称し、ご家族と涙を流すことだって、よくある(´;ω;`)

それは決して慣れるものでもないし、慣れたから一人前というわけでもない。

だからあなたも大丈夫(´ω`*)

今のその気持ちは大事にしてほしい。

ぜったいに将来の看護に役に立つから。

あなたは優しい。

患者さんの心に寄り添える優しい看護師になる!

そう伝えたい。

逆にむしろ、命の喪失には慣れるべきじゃないと思っている。

命はそんな軽々しいものじゃない。

でもこれは価値観・人間性の問題だとも思っている。

中には

「泣いていないで家族のメンタルケアをしないとダメ」

という人もいるだろう。

そういう考えを否定するのが目的じゃないことをご理解いただきたい。

(もっとも、ご家族そっちのけで看護師が泣き崩れるのは筋違いだが…)

 

<<あなたのその悩み・疑問は必要なこと。でも放置しちゃいけない>>

「今のあなたの悩みは、決して未熟なのが原因じゃない」

「悩んでいいんだよ」

ということをお伝えしたい。

悩むことで、将来同じ悩みを抱える後輩看護師に〖地に足の着いた良いアドバイス〗ができるようになる(´ー`)

  • 周りの人はいつも通りたんたんと仕事をしている。。。
  • 悲しくないのかな?

そんな疑問を持ちながら、

誰にも相談できずにモンモンと消化不良のまま働いている人は意外と多い。

これは精神衛生上、すごく良くない。

 

<<なぜみんなは悲しくないように見えるのか?>>

そのこたえは、

〖そう見えてるだけ〗

話を聞くとみんな悲しんでいる。それは話してみればわかること。

でも簡単に相談できないんだよね。

みんな日々時間に追われて忙しそうだし。亡くなった患者さんについて話す時間はないかも…

そんな宙ぶらりんの気持ちを解決するために〖デスカンファレンス〗というものがあるのをご存じだろうか。

今回は、

  • 患者さんが亡くなったときに感じる気持ちを客観的に見つめること
  • そしてデスカンファレンスの意義と必要性(メリットとデメリット)

について考えたい。

  • 私は看護師歴20年
  • さまざまな医療現場で働いてきた経験がある
  • 緩和ケアや腫瘍内科、呼吸器内科などで終末期の患者様との関わりと、日々のデスカンファレンスに携わってきた経験からお伝えする

患者さんが亡くなったときの看護師・介護士の心理

まずは、患者さんがなくなってどういう気持ちになるかを客観的に考えてみたいと思う。

つまり、今のあなたの感情だ。

患者さんが亡くなったときの喪失感

必死になって〖この人のために〗と考えて日々看護や介護をしてきた人にとって、その対象が亡くなるのはものすごい喪失感を覚えるだろう。

  • 悲しい
  • 切ない
  • 辛い

昨日までいた人が今日はいない。

そんな喪失感は心にぽっかりと大きな穴を空ける。

共感力の強い人、感受性の豊かな人はより強く感じる印象だ。

1人で内省し、自己嫌悪に陥る

それと同時に、患者さんとの自分の関わりを振り返り、

  • もっとこうしてあげればよかった…
  • 逆にあんなことしなければよかった…
  • あの関わりが死期を早めてしまったのではないか?

そんな自己嫌悪にとらわれているかもしれない。

マジメに一生懸命働く人、優しい人、思いやりのある人に多い。

年齢が若い人、医療現場での経験が浅い人、死に直面した回数が少ない人も自己嫌悪を抱きやすい。

自分の感情を「未熟がゆえ」と感じ、押し殺してしまう

自分は落ち込んでいるのに

周りのスタッフは何事もなかったかのようにいつも通り働いている。

そんなときは周りと比較して、自分が未熟だからだと自己肯定感を下げてしまう人もいる。

  • このくらいで動じないようにしないと。
  • 早く慣れないと!
  • 泣いてる私(僕)はまだ未熟なんだ

そう感じる人もいるかもしれない。

辛いと感じていいし、その気持ちはみんな同じ

  • 自分だけが辛いと感じてる
  • 感じてしまっている

そう思っているとしたら、それは勘違いだ。

看護師20年やってても患者さんの死に慣れることはない

なぜなら、患者さんは1人ひとり違うからだ。

命は尊い

だから人はみんな一生懸命生きるし、看護師はそれを支えたいと思うんだよ(´ω`*)

看護師ているときは、その人の人生に思いを馳せ、同じ時間を共有していることを実感する。

その対象が亡くなることは悲しいし、辛くて当たり前。

家族が泣いているとき、もらい泣きしたくなったら泣けばいい

私はそう思っている。

私もその場面にいると、ご家族と患者さんのことについて話しながらよくもらい泣きをする。

ご家族のためにも、自分のためにも、それでいいと思っている。

自分の気持ちを誰かに聞いてもらおう!

こんなに辛いのは自分だけじゃない!

ということがわかると自然と気持ちは落ち着く。

身近に自分の信頼できる人がいれば、その人に気持ちを聞いてもらおう。

でも、まったく畑違いの人に話しても共感してくれる可能性は低い。

結局、患者さんの概要を知っている人同士が話すことが重要になるんだ。

話を聞いてくれる先輩でもいいし

上司に相談してもいい

同じ部署の同僚だっていい

同職者の家族や親戚、友達だっていい

(もちろんプライバシーの範囲内で、となるが)

あなたの周りに良き理解者はいるかな?

デスカンファレンスの意義

そこでデスカンファレンスの意義が生まれる。

デスカンファレンスとは、

亡くなった患者さんについて、枠にとらわれずに今の気持ちや思うことを吐き出す場である

ここでは客観的に、デスカンファレンスをやるべきメリットとデメリットを考えたい。

ここからは特に管理者など組織のトップ層の方に伝えたい。

デスカンファレンスの5つのメリット

  1. 内に秘めた感情を吐き出して誰かに聞いてもらうことで喪失感が緩和できる
  2. 客観的に自分の気持ちを整理でき消化できる
  3. 辛い気持ちは自分だけじゃなかったんだという集団での安心感を得られる
  4. 自分のケアを見つけ直し、肯定感を得られる
  5. 日々の学習の目的や技術向上のモチベーションとなり、次へのケアにつながる

これらのメリットが考えられる。

組織として働く以上、スタッフのメンタルコントロールは長い期間働く上で必須。

もんもんとした気持ちを内に秘めたままで働くのは、自分にとっても周りにとっても良いことはない。

ネガティブな気持ちは伝染する。

個々のメンタルの問題を長時間放置すると、人員確保の点においていずれ組織の崩壊を招く恐れもある。

デスカンファレンスの3つのデメリット

  1. 業務形態によって個々の患者さんへの思い入れの強さが違う場合がある
  2. 時間を消化するだけの集まりになると無意味
  3. 人によっては共感してくれるばかりではない

これはもう少し詳しく解説したい。

患者さんへの思い入れの強さの違い

当然、関わる時間が長かったスタッフの方が思い入れは強い

しかしあまり関わらなかったスタッフの思い入れは薄い

となると、全員が集まって行うデスカンファレンスへの熱量の違いが生まれる。

そうなると②につながってしまう。

時間を消化するだけの集まりになってしまう

現場の仕事は日々忙しい。

その忙しい時間を奪ってまで集まって話す価値があるのか?

その必要性をスタッフがそもそも理解していないと成立しない。

つまり、

  • 「今忙しいのに」
  • 「デスカンファレンスなんてやってる時間ないよ!」
  • 「目の前の患者さんのことで精いっぱいだよ」

そう感じる職員が少なからずいるということ。

デスカンファレンスを業務の一環としてしまうと参加者のモチベーションは下がる。

そこに〖多忙な現場でデスカンファレンスをやる〗難しさがある。

人によっては共感するばかりではない

大多数がデスカンファレンスを行う意義について理解していたとしても、

1人がトゲトゲしい雰囲気なら台無しだ。

本当に胸の内を吐露したくて参加している人は、たいがい繊細で打ちのめられやすいからだ。

「何を言っても大丈夫」

という前提があって初めて口を開き始める。

だからこそ、やるならば邪魔が入らない〖ゆったりした時間〗を確保しておく必要がある。

まとめ

私が思うに、デスカンファレンスはやるべき。

理由は、以下の問題点を解決できる可能性があるから。

  • スタッフのメンタルコントロール(喪失感の軽減)
  • 自己の振り返りと次へのステップのモチベーションアップ(自己肯定感維持)
  • 職場の雰囲気の維持(何を言ってもいい安心感)

ただし以下のような注意点がある。

  • 多忙な現場でのデスカンファレンスはこなすだけの業務になりがち
  • 患者さんに思いを馳せるためのゆっくりとした時間を確保することが重要
  • (もちろん業務時間内に)
  • となると、多忙な医療現場では難しい場合が多い

現場のリーダーへ

若い看護師や介護士は特に患者さんが亡くなったことを消化できずにいる。

間違いなく、自分の患者さんへの気持ちを吐き出す場は必要である。

しかし、デスカンファレンスにはメリットもデメリットもある

となると、現場のリーダーは臨機応変にスタッフのメンタルコントロールを促す関わりが必要になる。

  • 日々コミュニケーションをとり、こまめに話を聞く
  • 改めて面接という形で、落ち着いた場で話を聞く

どの方法がいいかはあなたの組織の在り方や価値観によるだろう。

管理職のみなさんは、現場のスタッフが長く働ける職場を目指して頑張ってほしい。(上から目線)

逆に現場で働くあなたは、スタッフのことを第一に考えていない職場からはとっととおさらばしたほうがいい。

もっと優しくて働き甲斐のある、あなたに合った職場はたくさんあるはずだ。

我慢して働くくらいなら、自分を守って転職をすることをオススメする。

転職サイトのおすすめは、

大手3社くらい同時登録して比較すればOK。正直、そこまで大差ない(笑)

あとは担当者との相性だ。検討を祈る!!(‘ω’)ノ

 

補足:なぜ「経験が長いと患者さんの死に慣れる」と感じられるのか?

結論から言うと、

予測できるから

だと考えている。

日々関わる中で、観察とアセスメントから徐々に最期のときが近いことを察する

そして、それを理解した上で最期を見据えて関わっている。

だから、

  • 最期のときを予測した上で心して接する人、と
  • 予測できずにその場面になって突然の喪失感に襲われる人

の差が生まれるんだと思う。

これを〖慣れる〗と表現するのであれば間違いじゃない。

だとすると、やはり予測するには「日々の学習」と「それを実感する経験」を積み重ねるしかないんだと思う。

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