このようなブログにお越しくださいましてありがとうございます。
基本的に自分向けのメモブログですが、
せっかくなので自己紹介記事くらいは書いておこうと思います。
忖度なしで書きますので、苦情やご意見は【お問い合わせフォーム】からよろしくお願いいたします。
プロフィール(仕事以外の)
結婚して子どもが3人います。
右足首の靭帯断裂と剥離骨折をしています。(最近)
過去薄毛に悩んで発毛サロンに通い、70万円を払っておでこに産毛が生えました。
最近薄毛に悩んで発毛ラボに通い、30万円を払って逆に薄くなりました。。。
看護師歴・経験値
ざっくりと『こんな看護師です』っていう紹介です。
- 横浜看護専門学校(3年制)を4年で卒業
- 看護師歴はトータルで16年目
- 転職経験は6回
- 3都県7病院で勤務してきた
- 県看護協会の学生指導カリキュラム修了
- 学生指導経験歴6年くらい
- 沖縄応援ナース1年3ヶ月経験
- 都市型応援ナース7ヶ月経験
資格っぽいもの
資格と言えるかわからないものもありますが、それっぽいものを書きます。
- BLS
- ACLS
- ユマニチュード(2回の研修済ってこと)
- 県の学生指導研修修了資格(?)…3ヶ月も看護協会に通い詰め…
- サウナ・スパアドバイザー(趣味です)
…意外と自信をもって書けるような資格がなかった(;”∀”)
看護師として経験してきた診療科(時系列)
流れに沿ってなので重複した科もありますが、病院が違うので内情は別物ってことで。
- 胸部外科病棟(呼吸器外科・心臓血管外科・循環器内科)
- ICU/CCU 6床(心臓単科)
- ICU/CCU 14床(心臓単科/成人のみ)
- 心臓血管外科・循環器内科病棟
- 心臓カテーテル室
- 血液内科・消化器内科病棟
- 泌尿器科・一般病棟
- 循環器内科・HCU病棟
- 心臓血管外科・循環器内科病棟
- 脳神経外科・神経内科病棟
- 腫瘍内科・呼吸器内科・内科・歯科口腔外科・腎臓内科混合病棟
- 回復期リハビリテーション病棟
一応、急性期・慢性期・回復期・終末期を一通り網羅しています。
経歴を振り返ると、心臓に携わってきた時間が圧倒的に長いですね。。。
看護師として働いた病院(時系列)
全部で7ヶ所ですね。働いた期間も覚えている範囲で書きます。
- 岡谷塩嶺病院 3年
- 榊原記念病院 10ヶ月くらい
- 荻窪病院 1年…2年弱かな
- 西崎病院 派遣で半年くらい
- 豊見城中央病院 派遣で半年くらい
- 相澤病院 派遣で半年くらい
- 某地域の中核病院 8年くらい
派遣の応援ナースは延長もしたのですが、どこの病院で延長したのか忘れましたので適当に書きました。
看護師転職で利用した転職サイト・求人サイト
転職サイトにはお世話になりました。
- 看護のお仕事
- ナースパワー
- マイナビ看護師
- レバウェル看護
- あともう1つ…忘れました
基本的にはどこもよく頑張ってくれました。(上から目線ですみません)
同時に2社に登録して、別々の求人に面接や見学に行ったりしてましたね。
成功のコツは強気でいくことですね。
向こうも本気で来てくれますので(たぶんノルマとかあるから)、こっちは譲れない条件は譲らないこと。
優先度の高い条件は、ゼッタイに妥協しないことです。
《転職の失敗談》看護師として働いたけど失敗だった話
失敗したのは東京の病院での話
東京都の飛田給ってところの【榊原記念病院】への転職は失敗しましたね。
病院自体はとても素晴らしい病院でした。
でも、タイミング的、準備的、環境面が自分側の問題として失敗でした。
あとはプリセプター…。
まだ20歳そこそこの私は、最終的に親との電話中に涙が止まらなくなるのでした。
自分側の失敗要因3つ
- タイミング
- 準備・経験不足
- 環境が悪かった
タイミングは、田舎のICU・CCUの経験を引っさげて3年目で乗り込むには早すぎた印象です。
それなら1年目から行った方が【こういうものなんだ】という感覚で乗り越えられたでしょう。
準備は、勉強不足。榊原記念病院のICUは小児もいるので幅広く、そして深い知識とスキルが要求されるハードな職場でした。
最大の理由は環境です。
自宅が車で1時間のところ、吉祥寺のアパートでした。当時の彼女と初めての同棲。
同棲のストレス、仕事のストレス、ダブルパンチでメンタル崩壊でした。。。
みなさまはお気をつけて!!!!!!!!!
自分以外の要因を挙げるとしたら…プリセプターとの相性が悪かったことですね。
プリセプターと合わなかった話
ネガティブをささやき続けるプリセプター
やる気に満ち溢れて転職した先のプリセプターが最悪でした。
毎日耳元でネガティブな発言しか言わないのです。
これが毎日、ずっとです。
先輩の前では良い子を演じるプリセプターの2面性
日々ネガティブをささやくプリセプター。
(セクシーできれいな人だったんですけどね)
それでいて、先輩の前では【頑張る良い子】を演じる魔女のような人。
だから周りからは可愛がられてましたね。
私も「あの人でよかったね」なんて言われました。
だから辞めるときも(辞めた後も)私だけが悪者でしたね。
ICUという孤立した環境がより悪循環を生んだ
しかもICUは目の前の患者は麻酔で寝ている。
医者はOPEに入っている。
周りの看護師は1人でベッド2床を見て大忙し。
だから近くにはそのプリセプターしかいない。
ネガティブな小言のシャワーを浴び続け、最悪でしたね。。
転職活動の面接で失敗した話
公的病院の精神科に転職を試みたときの話。
正直精神科に興味はなかったので、今となっては転職しなくてよかったと思っている事案です。
面接で、バシッと動機を答えられなかったから見事に落ちました。
でも私は思うのです。
転職する前から興味なんてないでしょ!
【給料・生活面・残業の有無・勤務先の場所】とかそんな感じで決めるでしょ!
働いてから興味が出てくるものだと私は思ってますけどね。。
看護師の良い思い出
患者さんからありがとうの言葉をもらったときですね。
手紙をもらったこともあります。
お礼を言われているのは私なのに、逆に元気をもらいました。本当に感謝です。
沖縄応援ナースが最高だった話
失敗談ばかりであれなんで、最高だった話も少し。。
20代のころ、今の奥さんと沖縄応援ナースに行きました。
沖縄南部の病院に別々に勤務して約1年半。
- 週末は離島に飛んでスキューバダイビング♪
- 平日はビーチでBBQ!
- もしくは居酒屋で島酒を飲んでみんなと大騒ぎ!
- 休日は奥さんと沖縄のカフェめぐり♪
- そしてマラソン大会に出場したり、各地で行われるイベントに参加したり☆
最高でしたね(´ω`*)
あ、仕事は真剣にやってましたよ( `ー´)ノ
そんな感じの看護師人生ですね。
ブログのコンセプト
このブログでは、
〖これから看護師として働く上で知っておくべきこと〗
を簡潔に、そして実践で使えるようにシンプルにまとめます。
言ってみれば情報の引き出しです。
しかし、そんな教科書や参考書はたくさんあります。
私が大事にすべきは【最低限の情報のみ】ということ。
余分なことを極力排除して、敬語も使わない、前置きも不要!
必要な情報のみを書き記します。
ご意見などあればお問い合わせフォームからよろしくお願いいたします。